私がお菓子作りをするようになったのは、小学生の頃。
私の母は戦後生まれで、小さい頃砂糖入りの甘いおやつを食べなかったせいか
私のおやつは市販のお菓子ではなく、さつまいもやとうもろこしを蒸かした
野菜か、果物、はたまた白菜の漬け物だったりしました。
友だちのうちに遊びに行くと出てくるフィンガーチョコレートだの、
ピーナッツチョコレートなんかが新鮮でうらやましくて、
何度も母にねだったけど、その都度「虫歯になる!」と一蹴、撃沈。
買ってもらうのは難しい・・・、なら作れば良いんだ!
とひらめいたのが7~8歳の頃。
小学校の頃購読していた「小学●年生」の雑誌のふろくについてくる
別冊のお菓子作りのレシピ集を参考に、かた~いクッキーやら焼き縮んだマフィン、
甘いだけでぼそぼそしたパウンドケーキなんかを作りまくっていました。
元々の目的は、自分がおやつを食べたいがため、だったのですが、
作ったお菓子を食べてもらって、「おいしいね」と言ってもらうのが
なによりも嬉しいし誇らしいということに気づいたのが、12歳くらいの頃。
その当時はインターネットなんかもありませんでしたし、
近くの本屋さんでも、今のようにプロの方が書いたようなレシピ本もなく、
やはり参考にしていたのは例の雑誌のふろくでした。
でも何度作っても、できるのは堅いクッキーと、ぼそぼそのマフィンだけ。
中学生、高校生になって、若干金銭的に余裕が出てくるようになった頃、
オレン●ページなどの料理雑誌で「手作りお菓子特集!」なんて書いてあると
いそいそと買ってはみるのですが、レシピを眺めてはため息。
だって、そこには近所のスーパーでは売っていない材料が書いてあるんです。
「板ゼラチン」しかり、「粉砂糖」しかり、「無塩バター」しかり・・・。
今では比較的色々な材料が近所のスーパーで揃うようになりましたが、
当時無塩バターですら、片田舎に住んでいる自分にとっては入手困難な材料でした。
当時は、無塩バターを有塩マーガリンで作ったり(しょっぱいお菓子完成)、
粉砂糖をグラニュー糖に置き換えてみたり(口溶けざらざらです)、
古い小麦粉を使って、ばっさばさのスポンジケーキになったり・・・
材料が入手できない代わりに、自分なりの試行錯誤でお菓子作りをしていましたが
今思うと恐ろしいことをしていたものです。
家族からも、「魔女の料理だ」なんて恐れられていたっけ。
努力はしていたけど、無毛な試みを続けていた自分が、人に喜んでもらえるような
お菓子を作ることが出来るようになったきっかけは、30歳あたりでしょうか。
その頃、なんだか色んな事に焦っていた時期でした。
子供が産まれて、育休から明けて職場復帰して、浦島太郎状態から脱した頃。
産休・育休を取っている間に、仕事だけでなく、自分の人生についても
他の人と遅れを取っているんじゃないか、なんて思っていました。
自分の強みってなに?
人に誇れる事ってあるんだろうか?
子供が居るから、○○ちゃんのママって肩書きになれるけれど、
もし子供が巣立っていなくなった時に、私は何者になるんだろう?
そんなことを考えて日々悶々としていたその頃、自分がこれなら人に誇れる、
という特技を身につけたいな、と強く強く思ったのです。
その時 お菓子作りをもっと本格的に学ぼう!と決めたのでした。
そこからインターネットでお菓子教室を探しまくり、
そこで出会った先生との出会いが、私のお菓子作りを本質的に向上してくれる
きっかけになりました。
教室で習うことで、私のお菓子作りが根本から間違っていたことに気付けました。
お菓子作りは、段取りと温度、細やかさが命です。
おかげさまで、習った事を再現できるようには技術は向上し、
毎年のクリスマスケーキやバレンタインデー、人への贈り物には
困らない程度の技術を身につけることが出来ました。
作る度に、課題は見えてくるのですが・・・、これからも人に喜んで
もらえるようなお菓子を届けられるよう、作り続けていきたいと思っています。
今は、胸を張って「お菓子作りが得意です!」と言えるように
なったみたいにゃ!